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2023/12/31

フトモモ

たるんとしたその重みは欲望への供物

ひらかれた峡谷に彷徨いこむアナコンダを

キリキリとしめ上げてやりたい

おまえのアナコンダは小さく悲鳴を上げ

びちちびちち と、のたうちまわり

白いげろにまみれながらちぢんでゆくのさ


精気を吸って太くなったわたしのふとももは

ただ、ぶよぶよと揺れるようにわらっている

2023/12/27

冬の時代

誰だって雪の中を歩いていくような孤独を飼っている

ずぶ ずぶ ずぶ

と真っ黒い雪に足を沈めながら進むしかない

うしろからは赤い口をめくりあげた狼の群れ

この腐った身は重力のくびき

手も足も、眼球も耳朶もちぎれて飛んでゆく

錆びた鉄の森を抜ければ、雪原 


どこまでも白い ただただ白い

どんな白より、もっと白い

2023/12/26

白痴灯台(2025.11.改変)

口をあけた白痴の顔

のような灯台

広すぎる行間を、ダダダッ、ダダダッ

と一気に駆けのぼる

午後のいやらしい曳航

欲望の船を引いている

汽笛が鳴いても誰も聞かない

灯火は冷たく固まったまま

白猫も死んだ

灯台守りが狂ったからだ

カモメが死肉をつつきにやってくる

飢えた蟹たちもしだいに集まってくる

やがてこの死の塔も腐り落ちるだろう

聞くもののない崩壊のメロディ

感情のない静寂の微笑のままに

2023/12/24

自慰

手なぐさみとも言う

セックスはずっとしてない

せいきはいじる

いったあと違和感が残ってたので禁欲した

一週間やりすごしてこわごわやってみたら

ニューッて感じがあって止まりそうになったけども

そのまま突っ走ったら、いけた

なんというか

甘やかなふしぎないきだった

2023/12/23

始まりの全開陳

下腹が疼くのであけてみたら

ヴァップブァバァーッという汚らしい呪文とともに

虹色の内蔵が飛びだした

便秘が明けたときのような解放感

とともに、もう子供は産めませんというお札を貼られる

軽くなった体で不浄ともお別れ

下界の、ドス黒い人間の群れ

白目の白だけが異様にギラギラしている

そのカタマリにダイブする

いく いく いく 

ああ、何もかも

しぼり出したいしぼり出したいしぼり出したいしぼり出して

身の果てまでも心の最底辺までも出して出して出してやりたい

2023/12/01

〈現代の詩と詩集について〉

・現代アート(アンディ・ウォーホル以降)を参考に、現代詩の状況を俯瞰できないか

・詩とはどのようなものか
 A. 社会への憤懣やコミュニケーションの課題、思想、歴史など社会的テーマを内包
 B. パーソナルな感情の発生ややり取りから生まれるもの
 C. バックグラウンドなき言語表現、テーマすらない、言語的な遊戯・冒険
 …等々

・「詩人が書き、詩人が読むだけ」という閉鎖性、本当にそうなのか

・詩は偏在している、あらゆる文がとらえようによっては詩になる
 言語は言語としてそこにある

・小便器さえ署名され美術館に置かれることで、アート作品に変わる
 (美術館は鑑賞者を担保するための装置、市場価値を付加する背徳的側面もある)

・一方で、詩集というパッケージに価値はあるのだろうか

〈鑑賞する側〉から考える、詩という存在

・鑑賞によって作品は完成する、すべての鑑賞は率先して受け入れられるべき

・作品は自由にとらえて良い→一つの作品は鑑賞の数だけ多作品化する

・鑑賞され完成された作品を公開する場があると良い、どんな形態になるのか分からないが
 コメント欄では浅すぎ、各人のブログでは遠すぎる、例えば感想が併記された詩集??

・詩集の市場拡大にこだわっても仕方ない、書籍の市場も縮小している

・数千円で売られる詩集は、希少品や高級嗜好品、コレクターアイテムになりつつある
 装丁美や作家の権威や人気によって〈アート作品化〉する この場合は別の市場が生まれる

・おれたちの詩はどこにあるべきか、どこへいくべきか?

(余談)
詩集はもっと身近に自由に安くあって良い。数十〜百ページ越えの詩集では重すぎる。これからは5〜10作品を20ページくらいにまとめた平綴じの小冊子(zine)が主流になるかもしれない。「切り売り」ではないが、魚屋や肉屋と同じだ。マグロ一匹、牛一頭までは必要ない。コンビニのネットプリントなども面白い。その分「消費」のスピードは加速されるだろう。しかし、それでも残るもの、繰り返し読まれる作品がきっとある。
一方で、言語をマスコット化、インスタレーション化、動画化することで、鑑賞の場を新しく拡張させようとする動きもある。駅の柱に詩を貼ったり、展覧会を開催したり、小物を売ったり。
昔、ウォークマンという再生装置が、音楽の聴き方を一変させた。今まさに詩集を脱ぎ捨てる時期なのかもしれない。新たな形態・媒体を工夫したり生み出すこともまた、創作の一端である。

…本当は、そんなことどうでも良い。
まずはそこにある詩を、楽しむことだ。